福島第1原発事故吉田調書抄録(7)

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福島第1原発事故吉田調書抄録(7)

福島第1原発事故 吉田調書 第7回目です。

 

政府への不信 「腐った指示ばかりだった」

 

平成23年3月11日の東京電力福島第1原発事故で、当時の吉田昌郎所

長への聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。7回目は、吉田氏と政府側

とのやり取りに関する証言をまとめた。

 

〈第1原発で事故が発生した場合、経済産業省原子力安全・保安院が福

島県大熊町の緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)に関係者

を緊急招集し、陣頭指揮にあたることになっていた〉

 

--保安院の保安検査官は(第1原発内の)保安院の事務所に通常詰め

ていますね

 

吉田氏「はい」

 

 

--その人たちは一旦退避か何かでどこかへ行かれたんですね

 

吉田氏「はい」

--それから、また戻ってくるんですね

 

吉田氏「かなりたってからです」

--また戻ってきたのは大体どれくらいか

 

吉田氏「よく覚えていないが、事象が起こったときは保安院の方もみん

な逃げてきて、免震重要棟に入られた。それからオフサイトセンターがで

きたので、オフサイトセンターに出ていった。

 

途中でオフサイトセンターから保安検査官をこちらに送り込むという話は

あったんです。結局あれは14日だったんですけれども、来られなかっ

た」

--来なかったのか

 

吉田氏「はい。私は記憶がないんだけれど、24時間駐在で来られるよ

うになったのはもうちょっと後だと思います」

--保安院から所長に直接、今どういう状況かみたいな電話はないのか

 

吉田氏「ないです」

 

 

〈13日には3号機の爆発を避けようと、建屋にたまった水素を抜くた

めのブローアウトパネルの開放が検討された〉

 

--保安院からの指示として、パネルを具体的にどうしようかという話

はしていたのか

 

吉田氏「していました。パネルを開けないといけない。だけれども、

(19年の)中越沖地震で(柏崎刈羽原発のパネルが)がたっと落ちて開

いてしまったから、開きづらい方向に改造していたんです。

 

どうしようもないわけですよ。だったら保安院来てやれ、馬鹿野郎と言い

たくなるわけですよ。こんな腐った指示ばかりしやがってと。いまだにこ

のときのことはむかむか来ます」

--保安院の出先の事務所は

 

吉田氏「このころはもういません。1人もいないです」

 

〈菅直人首相ら官邸からも吉田氏に電話が入った〉

 

 

--菅首相との電話は

 

吉田氏「菅さんとはどっちかというと質問です。水素爆発はどういうメ

カニズムで起こるんだということとか、それは水蒸気爆発と違うのかとい

うようなご質問をなさっていたのが1点ですね」

「それから、菅さんの脇に日比野靖さんという(内閣官房)参与がいた。

ごく初歩的な質問を菅さんがして、私が説明をし始めたら、ちょっと待っ

てくれ、その質問は日比野さんがしているからということで、日比野さん

に代わって、結構忙しいときだったんだと思うんだけれども、縷(る)々

(る)ご説明をしたと」

 

「もう1点は、警戒区域と避難区域、20キロ、30キロの話についてこ

う決めたけれども、所長はどう思うみたいな話をしてきたんです。知りま

せんと。本店なり、そちら側の解析しているところで評価してくれと。現

場の判断ではないということは申し上げました」

 

--現場はどうなっているんだというので、ちょっと電話してみればみ

たいな話になると、所長のところに電話をするのが、東電の武黒一郎フェ

ロー、川俣晋原子力・品質安全部長だったり、場合によっては細野豪志首

相補佐官だった。

 

どちらかというと、みんなで勉強会というか、そんな感じだったらしい。

官邸で首相以下の指示がぼーんと決まって、これで行けとか、そんな感じ

ではなかった

 

吉田氏「勉強会だったんですね」

 

 

--いざ聞いてみると、みんなそういうふうに言う。別に司令塔ではな

いと

 

吉田氏「しかし、何をもってこの国は動いていくんですかね。面白い国

ですね」(肩書は当時)

 

 

「産経ニュース」より抜粋。

 

 

首相との電話会談の「勉強会」は仕方ないと思います。

 

ここで「保安院」の話が出てきてるが、なんかひどいですね!!

 

 

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