地下鉄サリン事件 緊迫の73分・交信テープ公開

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警視庁は1月14日、1995年3月のオウム真理教による地下鉄サリン事件の発生直後、同庁通信指令本部と、現場に駆け付けた警察官との無線交信の記録を初めて公開したもようです。

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地下鉄サリン事件 緊迫の73分・交信テープ公開

次々と倒れる乗客と、新聞紙に包まれた謎の液体――。約73分に及ぶ交信記録からは、情報が錯綜(さくそう)する中、現場の緊迫した様子が浮かび上がった。死者13人、負傷者6000人超に上った事件直後の様子が、発生から約20年を経て明らかになった。

警視庁通信指令本部に事件の第一報が入ったのは、3月20日午前8時21分。

「日比谷線の八丁堀駅、病人2名。気持ち悪くなったもの2名。事件事故等、判然としません」

その約1分後、茅場町駅でも4人が不調を訴えているとの通報があった。病人との内容だったため、無線の声に緊迫感は、まだない。ところが、現場に到着した警察官からは次第に緊迫した様子が入ってきた。

「歩道上に何人も倒れている模様」

「築地駅構内で40~50人が倒れている」

息を切らした警察官の声は緊急事態であることを示していた。乗客とみられる悲鳴も聞こえる。しかし、原因は何かが分からない。「煙が充満している」「ガソリンがまかれた……」。情報は錯綜した。
「地下鉄駅構内で、爆発物を使用したゲリラ事件が発生した」

同本部は当初、「爆発物」によるテロだとみて、現場に警戒態勢を発令した。しかし、8時35分以降、八丁堀駅で目撃者から話を聞いていた警察官から、重要な情報がもたらされた。

「新聞紙に包んだ液体、これが目の前に落ちた。その液体が溶けだし、ものすごい異臭がした。それで車外に蹴り出した」

目撃者の証言から、何者かが電車内に液体を持ち込んだことが原因だとわかった。同本部は現場に警戒を呼びかけたが、駆けつけた警察官の中には具合が悪くなる者も出た。同本部は何度も注意を呼びかけた。

「防毒マスクを使用。受傷事故防止に留意されたい」

9時過ぎ。今度は霞ヶ関駅から不審物の情報が寄せられた。

「霞ヶ関の駅事務所、形状不明なるも不審物件が2個ある」

「先頭車両に新聞紙に包んであった段ボール様のものから液体が流れているのを発見し、霞ヶ関駅で開けたところ一気に液体が流れ出し、多くの負傷者がでた」

駅員は、電車内にあった液体をサリンだとは知らずに運び出し、漏れ出さないよう駅の金庫で保管していた。

さらに、千代田線の各駅でも多数の負傷者がいるとの報告が相次いだ。救急車の出動を要請する一方で、防毒マスクを装着した現場の警察官は、電車内の不審物の捜索を進めていく。

「地下鉄八丁堀駅、地下から20人を搬送。救急車は現場に到着しております」

録音開始から約73分。負傷した乗客の搬送を連絡する報告を最後に、録音は終了していた。

警視庁によると、交信記録はカセットテープに録音されていた。保存期間は通常1年だが、報道機関からの要請で探したところ、通信指令本部の保管庫で発見。同庁は「当時の警察活動を理解してもらえれば」と、異例の公開を決めた。

 

地下鉄サリン事件

地下鉄サリン事件1995年3月20日朝、営団地下鉄(現・東京メトロ)の東京・霞ヶ関駅を通る3路線に猛毒のサリンがまかれた無差別テロ。

オウム真理教教祖の松本智津夫死刑囚(59)をはじめ教団幹部、信者計14人が起訴され、サリンの散布役や製造役ら10人の死刑と、散布役を駅まで運んだ運転手ら4人の無期懲役が2011年までに確定した。翌12年には、逃亡を続けていた高橋克也被告(56)が逮捕された。

日本至上最高のテロ事件として有名でした。最近このような事件は起きていないが、危険ドラック関係の事件等や、子供が親を刺し殺すなどの事件がおおくて物騒な世の中ですのでみなさん気をつけましょう。

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