高倉健さん死去 銀幕に男の美学を貫く 出演205本

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高倉健さん死去 銀幕に男の美学を貫く 出演205本

 
寡黙で、武骨で、不器用で-。日本映画界に燦然(さんぜん)と輝いてきた俳優、高倉健さんが83年の生涯を閉じた。

私生活をほとんど語らず、スクリーンの中で“男の美学”を貫いた真摯(しんし)な演技者が、昭和から平成にかけて出演した映画は205本。

作品や、そこで語られたせりふを振り返ると、その時代の風景が次々と蘇ってくる。そんな戦後を代表する映画スターの死を、多くの人々が悼んだ。

先の戦争から11年が経過し、経済企画庁(当時)が経済白書で「もはや戦後ではない」と規定した昭和31年、高倉さんは「電光空手打ち」でデビューした。

寡黙なイメージの高倉さんの魅力が開花し、人気を決定づけたのは任侠(にんきょう)路線だ。「

日本侠客伝」シリーズが始まったのは、東海道新幹線が開業し、東京五輪が華々しく開幕した39年。翌40年には「昭和残侠伝」シリーズと「網走番外地」シリーズがスタートした。

全共闘運動が盛り上がりを見せる中、義理と人情の世界に生きるアウトローが世の不条理に耐え、ついに爆発して悪に切り込むというストーリー展開に観客は熱狂。

「死んでもらいます」の決めぜりふは流行語となり、「義理と人情を秤(はかり)にかけりゃ…」(昭和残侠伝)などの主題歌もヒットした。
その後、任侠路線が下火になると、武骨で実直な男を好演するようになる。日本赤軍の日航機ハイジャック事件が発生した52年には、「八甲田山」や「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」が公開された。

「幸福の-」で語られた「おなごちゅうのは弱いもんなんじゃ。咲いた花のごと、弱いもんなんじゃ。男が守ってやらないけん。大事にしちゃらんといけん」とのせりふには、古き良き“男らしさ”があふれていた。

「どんな生き物にも命があって、だれもその命を奪う権利なんかないんだ」。高倉さん演じる南極観測の越冬隊員が語った「南極物語」が公開されたのは58年。

東京ディズニーランドが開園し、任天堂のファミリーコンピュータが発売された年だ。翌59年、「自分、不器用ですから」と語った日本生命のCMは話題となった。

平成に入っても、高倉さんは数多くの映画に出演した。11年に公開された浅田次郎さん原作の「鉄道員(ぽっぽや)」は、廃線間近のローカル線駅長の姿を描き「おれは鉄道員だから…」などのせりふが涙を誘った。

最後の出演作となった「あなたへ」は東日本大震災の1年後となる24年に公開。「女房にとって、自分はなんだったんだろう」との思いを胸に、亡き妻の「故郷の海に散骨してほしい」という希望をかなえるべく、妻の故郷に向かう男の姿が描かれていた。

 
最後まで演技者として生きてきた高倉さん。25年に文化勲章を受章した際は「俳優養成所では『邪魔になるから見学していて』と言われる落ちこぼれでした。『辛抱ばい』という母の言葉を胸に、多くの監督から刺激を受け、社会を知り世界を見ました」と話していた。

 
「産経ニュース」より抜粋。

 
う~ん。高倉健さんほど男のしぶさっていうか、カッコよさを演じた俳優はいないでしょう。

悪いが、今の男優の人たちはチャラチャラした人が多く、今の邦画は観たいと思いません。日本男児の憧れ的な存在だったと思います。

ご冥福を祈ります。・・・

「ファンより」