地下鉄サリン事件から20年目を振り返る

社会 社会
スポンサーリンク

 

地下鉄サリン事件が起きた平成7年3月20日以降、新宿駅構内に青酸ガス発生装置が置かれるなど、オウム真理教による無差別テロは続いた。

教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(60)の逮捕なくして、流れは断ち切れない。

5月16日。ついに“その瞬間”を迎えた。元警視庁捜査1課長で当時、同課理事官として現場を指揮した山田正治さん(74)が、緊迫の様子を振り返った。

 

スポンサーリンク

隠し部屋に現金や肉?教祖逮捕の指揮官が振り返った

 

5月16日午前5時25分ごろ、山田さんは山梨県旧上九一色村の教団施設「第6サティアン」にいた。

鉄骨3階建てで、1階は麻原一家の住居や食料庫、2階は信者の瞑想(めいそう)部屋、3階はベニヤ板で仕切った小さな部屋が並ぶ。

捜査員ら約10人を連れて裏口から突入。真っ先に麻原死刑囚の居室を捜索したが、もぬけの空だった。

ハンマーを手にした捜査員が壁や天井をぶち抜いて捜した。建物が穴だらけになっても見つからない。こんなはずはない。だが、山田さんには確信があった。

 
前夜の15日午後11時半ごろ、サリンを製造したとして逮捕された教団元幹部、遠藤誠一死刑囚(54)の要望で会った。

「どうしても捜索の指揮官に話しておきたいことがある」。そう切り出した遠藤死刑囚は「グル(麻原死刑囚)は1階と2階の間の部屋にいる。末期がんだから優しくしてほしい」と告げた。

 

4月から第6サティアンの警戒にあたっていた捜査員から「10日ほど前、2階と3階の間の外壁に開いた穴のあたりに、信者が雨よけのひさしを取り付けていた。怪しい」と報告があり、2階の天井付近の捜索が始まった。

天井をたたき割り、穴を広げると、人影が見えた。「ひげを生やした赤い服の男がいる!」

“隠し部屋”は、高さ約50センチ、幅約100センチ、奥行き約330センチ。壁が内側から外せる仕組みで、寝袋やティッシュが乱雑に散らかる中、麻原死刑囚はうつぶせで身を潜めていた。

明かりの下で見ると服は紫色で、ほこりまみれだった。山田さんが「悪いところはないか?」と聞くと、麻原死刑囚は「どこもない」と答えた。腹の底から響くようなだみ声だった。

 
同行していた医師が健康状態を確かめようと手を取ろうとした瞬間、血相が変わった。

 

「駄目だ! パワーが落ちる!」。山田さんが「君のためにしているんだ」と諭しても、「業(カルマ)がつく」と言うことを聞かない。

医師が素早く脈を取り、健康状態に異常がないことが確認され、逮捕状が執行された。捜索開始から4時間以上が経過していた。

サティアンの自室の冷蔵庫には肉や麺類が詰め込まれ、隠し部屋には900万円余りの現金があった。

「信者に苦行を強いて自分は贅沢三昧(ぜいたくざんまい)。欲望のままに生きるただの犯罪者と変わらない」と思った。

それだけに、人を惑わすマインドコントロールに危機感が募る。「いつまたテロ思想を持った宗教団体が誕生するか分からない。オウムの記憶は絶対に風化させてはならない」

 

「産経ニュース」より抜粋記事だが、過去の話だけど忘れてはいけない記事なので記憶に残したいと思いこの記事を紹介しました。

 

麻原彰晃って何様のつもりでいたのか?

 

教祖でいればなんでも出来るから?私は宗教に関しては興味はありません。信者達って相当マインドコントロールしやすい人たちばかりを集めていたみたいで、日本人って騙されやすい人種なんでしょうか?

コメント